ENo.0212　ゼノ

　かりかり。さらさらさら。
　丘の上の古城に、ペンが羊皮紙を撫で、紙越しにテーブルを叩く音が響きます。
　音という音は、そのくらい。この城に生きているものは一人しかいませんから、ここは大変静かでした。
　その生きているものこと魔王代理のゼノは、暫くして羽根ペンを置きました。できあがったもの――雇用主への報告書――を見て、頷きを一つ。このくらい書いておけば、十分でしょう。

　『この世界』に来て2週間と少し、ゼノは世界の理をおおよそ理解していました。飲み込みは悪くないんですね、この人。
　茶葉の新芽が芽吹く朝を迎え、恵みのようなスコールの夕方を越えて、夜には狂った勇者が攻めてくる。倒しても倒しても復活する勇者がようやく消滅する頃にはまた、朝が来る。その繰り返し。

「何とも単調な世界ですねエ」

　とはゼノの感想でした。
　それこそ単調な感想のように思えますが、それはさておき。
　彼が『この世界』に来てからのことを少し話しましょう。

　世界を移動し古城に来て、ゼノがまず取り組んだのは掃除でした。古城とかいう洒落た呼び方より、おんぼろ城とか、お化け城とか、そういった呼び名がこの城には適していたのです。つまりこの城、とっても古くて汚かったんですね。
　ゼノは死霊術師でしたが、別に墓の近所に住んだり、変におどろおどろしい雰囲気を家で演出したりする趣味はありませんでした。それはきっとマチルダの妹も同じでしょう。なので、とりあえずこの城の掃除をしようと思ったのです。
　と言っても、ゼノ自らがやることは微々たる量でした。彼は死霊術師ですから、何かする時は『お友達』』――と言うと聞こえが良いですが、要するに支配下に置いている死霊たちのことです――の力を借りることがよくあります。
　ということで、基本的にゼノは指示を出すのに徹し、だだっ広い城の掃除は『お友達』に任せていました。割と人任せで適当な輩なのです、彼。

　この小汚くて無駄に広い城を用意した神は、『深々たる闇夜』の神というそうですが、ゼノが会うことはついぞありませんでした。仮に会ったなら、もう少しどうにかならなかったのかと文句の一つや二つを言いたいところでしたけど、会えなかったなら仕方がありません。そもそもマチルダ曰く、

「会える状態じゃないわ、あのひと。かわいそうなこと」

　とのことでしたし。因みに、ちっとも可哀想だという気持ちが篭ってなかったことは言うまでもないでしょう。
　ゼノは、『深々たる闇夜』についてそれ以上は詳しく聞いていません。しかし、仮にも神と名乗る存在が、マチルダごとき（と言うと語弊がありますけど、神と比べたらこのくらいは言っても良いでしょう）に救援を頼み、しかも彼女の言い振り的には様々な条件を呑んだそうですから、まあ、何かしら状態が芳しくないのだろうとは推測できました。

　1日くらいかけて掃除を終わらせ、次にゼノが考えたのはユニットの作り方です。
　ユニット。城を組み立て、防衛するために必要不可欠なもの。風の噂では、一部の魔王は神々から貰った力で作っているそうですが、ゼノにそんなものはありませんでした。自分自身の力や知識で作らなくてはいけないわけですが、さあ、何をどう作りましょう？
　ゼノの一番の力といえば、やっぱり『お友達』です。けれど、このユニットというものはマーケットで販売することも考えて、ある程度の量を作らなくてはいけません。『お友達』をケーキみたいに8等分するわけにもいかないので、ゼノはユニットを作る際、彼らの力を参考するに留めました。
　畑から収穫した素材と、ゼノのちっぽけな魔力で作ったユニットは、まあそれなりの働きをしてくれたようです。一つ目の『差し出す右手』と二つ目の『空を駆る魚』は、ある弓の名手を参考にして作ったアーチャーのユニットでした。
　三つ目を作るのはこれからです。この三つ目に、ゼノはアラームを作ろうとしていました。名付けて、『躍る心の臓』。こちらはアラームというより、ドアベルのような形をしています。しれっとこの城に残しておいて、新たな城主に勇者の来訪を伝えるためのものでした。気遣いというか何というか、そういったものと考えて差し支えないでしょう。彼は、マチルダの妹に同情していましたからね。
　自分にもできたのですから、ユニットを作ることに関してマチルダの妹は問題なくやれるだろうと思っていました。何せ、人間よりコウモリの方が魔力は多いですからね。むしろゼノより上手くやれるでしょう。

　それらの作業が一段落した頃、ゼノは同盟を結ぶ魔王を探すことになりました。
　幸運にも、協力できそうな魔王はすぐに見つかりました。それで分かったことは、皆がてんでばらばらな世界から、これまた様々な神によって呼び出されている、ということです。
　例えば、一番最初に同盟を結んだ結んだ初老と思しき男性――Dr.ブローニングは、ゼノが慣れ親しんだ世界と全く違うところから呼ばれたようです。それは彼が作り上げたユニットを見れば歴然としていましたし、言っていることも分からないことが多々ありました。ちなみに、ゼノは彼の性格には割と問題があると感じました（工場の茶葉の色は変色してましたし、作製ユニットが魔力切れで動いてなかったりしたり、『こすぷれいやあ』と言われたりしたのです）が、短い仲でしょうからあまり気にせず行くことにしました。
　他に組んだ面々は、魔王というより神であったり、悪魔とそれに憑かれた人間であったり、一転して魔王らしい魔王であったり、魔王というより城そのものであったり。他にも短い会話を交わした子どもは、人ではないようでした。まあとにかく、多種多様な人々が集まっていました。
　この個性の塊のような世界で、マチルダの妹は果たしてやっていけるのでしょうか。実のところゼノは、この辺でマチルダの妹が誰なのか、大体の検討をつけていました。でなければ、同情を深めてアラームをわざわざ作ったりしません。それ以上の干渉は、受けた仕事の範疇を越えるので、やるつもりは毛頭ないのですけれど。

　城の掃除をして、ユニットを作り、同盟を組んで一通りの魔王業をこなした。以上が、今日までのゼノの『この世界』での活動です。本当は細々としたことはもう少しあるのですが、長くなってしまうのでその辺は割愛します。

「……そろそろ来ますかネ？」

　そして、今日がゼノの魔王代行業の最終日でした。間もなく来るであろう勇者たちを凌いだら、おしまい。自分は元の世界に帰り、この城は本来の魔王に明け渡されることになります。

　りん。りーん。

　『躍る心の臓』は無事に機能し、勇者の訪れを知らせます。

「上々ですネ。さテ、行きますカ」

　こうして、ゼノは最後の戦いに臨むことになりました。



　最後と思っていたのはゼノだけで、彼が再びこの世界を訪れることになるのは――また別のお話です。