ENo.0122　イズシー・ヴェンドリック

　あたしの生まれ育った世界――と言った方がいいのだろうか――は神に祈ることが当たり前のように生活に浸透していた。傷を癒やす魔法は神の奇跡であり、恩寵であると伝えられてきた。祈れば神は必ず救いの手を差し伸べてくださると謳われていた。
　だが、実際に祈っても神は悲しみという名の海に沈んだあたしを助けてはくれなかった。祈れば祈るほど、逆に自分が置かれている状況の虚しさに胸が痛くなり、だんだんと海底へと沈んでいくような感覚を覚えた。祈っても愛した人は帰ってこない。心にぽっかりと空いた穴を更に抉ってどうするんだ。
　両親の死を受け入れられなかった14のあたしは、神を否定することで心の痛みを鎮めようとした。

　視界を黒くて高い、影の塊のような人型が横切る。あたしをこの紅茶の創造主の大地に召喚した神、『虞（ぐ）の作り手』だ。虞とは何かと尋ねたところ、彼は憂いや恐れを意味すると答えた。ふぅんと適当に相槌を打ち、あたしも口を開く。
「あのさあ、あたし神なんてものは信じてないんだけど」
「何故？」
「祈っても助けてくれなかったから」
「ああ……決して私は信仰せよと言っているわけじゃありませんからね。そこは貴方に任せます。ただ私は『虞の作り手』、恐れを生み出すもの。救いの手を差し伸べるどころか、その手を振り払った上にナイフで突き刺すような神ですよ？」
　黒き神の頭部にあたる部分に横一文字に切れ込みが入り、そこから獣のように尖った歯が顔を出した。不敵に笑うその姿からは、今まであたしが教えられてきた神とは違うもの……そう、邪神と言っても過言ではないような何かを感じた。
「それでこそ魔王に相応しいって感じね。面白いじゃない」
　
「ねえ『作り手』さん、あんた一度死んだ人間を蘇らせることについてはどう思ってんの？」
「とても面白そうな話ですね」
「この世界の創造主の配下の勇者を殺し尽くすことは？」
「息の根を止められない者共を何としても殺してやろうというその意気……ええ、とっても気に入りました！　仮に貴方が武力で勇者共の侵攻を治めたとしたら、貴方は畏怖の対象になるでしょうねえ。人々は跪くでしょうねえ！」
　『作り手』は白い歯をこちらに向けながら大いに笑った。つられてあたしも笑い出す。
「ふふふ、どうやらあっちの世界での鬱憤が相当溜まってたみたいだわ。憂さ晴らしついでに色々やってみようかしら。折角魔王と呼ばれるようになったんだから、悪いことをしてはいけないという決まりはないようなものよね？」
「ええ、ええ、是非とも悪逆の限りを尽くしていってください。個人的にも徳よりカルマを愛する魔王の方が、見ていて楽しいので」
　それなら、あたしは悪になる。人道に背き、覇道を往く。そう深く心に刻み込んだ瞬間だった。